Get's ヘキサ


暗峠越え


 


再訪篇

        2007年4月初訪問/2021年2月再レポ化訪問

 2007年4月…この趣味を始めて初めての廃隧道レポ。
 あれから早14年…時が経つのははやいですなあ…
 
 この間にも何度か訪問はしていますが、レポには至ら
ず。一発目のレポにしてはかなり寂しい内容だったので、
ようやく再レポする気になりました。

 しかし…未だに現役全としてガチ表記されています。
 ちゃんと黄色く県道表記も…。うーむ…
 画像に14年前の写真をロールオーバーしています。
 やはり大分荒れてしまってます。しかしそれより、14年前
はこんなに道が綺麗だったのか、と驚いてしまいます。
 入り口には道しるべの石碑が。
 右〇〇、左〇〇 この画像で分かる方おられますか…
 右はなんとなく「ちはや口」かな?と…
 観心寺楠公首塚へ 一里二十九町

 一里二十九町は、およそ7091m、7km超ですね。
 えらいところから道標を設置してますねえ。
 Googleさんでここから観心寺までの道のりを検索する
と、新千早隧道を通るルートで6.7kmでした。
 千早洞のルートだと7㎞超になりそうですねえ。
 さて、と。のっけから脱線が過ぎますね…
 隧道に向けて出発です。
 いきなり右に分岐道。
 鉄塔への巡視路、ですが、登山道でもあるようです。
 仕事柄見ないと気が済まないので、ちょっと歩いて来ま
した。看板には198とありましたが、御坊幹線197でした。
 …いや、どうでもいいっすよねwww

 因みにまともに歩いても、千早洞の河内長野側には
行けません。地理院地図にも載っている点線道、その中
には、向こう側に行けそうな点線もありましたが、結局
試さずじまいです。
 鉄塔への道は左側。道はしっかりしておりました。
 案内板によると千早口駅まで行けるみたいですね。

 めっちゃ遠いけど…w
 はよ進めって?はいー、すみません…
 路面は荒れているものの、どうやら単車は入っている
感じがします。
 ところが…ありゃ、倒木がすごい…
 こりゃあ単車もここまでやな。
 左側斜面には往時のものであろう石積みが。
 未加工石を谷積みしてます。空積みなのによく持ち堪
えています。
 隧道はあのカーブを曲がった先すぐです。
 しかし、この倒木は…このままどんどん廃化が進んで
いくのでしょうか…

 14年前の画像と比較してみて下さい。

 そして、彼は姿を現します…

 おおおお…あきらかに荒廃の一途をたどっている…
 大阪府内唯一の煉瓦坑門を持つ車道隧道…あまりにも勿体ない…
 金くれたら手入れするけどな…w
 

 …………うーむ…何度見ても、素晴らしい!!
 典型的な冠木門タイプの坑門。江戸切りの楯状迫石と要石。笠石、帯石も同じく江戸切り。ピラスターにも江戸切りの切石を使い、
スパンドレル(三角小間)、パラペット(胸壁)部分にはイギリス積みの煉瓦を配しています。
 そして何より扁額付き!
 このセットで撮影するのが好きですねー。
 要石の大きさが際立ちます。
 いいですねえ、「洞」

 大久保利武 書 です。

 この御仁はかの大久保利通の三男。
 1912年(大正元年)12月30日から1917年(大正6年)
12月17日まで大阪府知事でした。

 千早洞の竣工は大正6年ということで、一致しますね。
 楯状迫石の利点は、スパンドレルに使われる切石や
煉瓦を加工することなく配置出来るところですかね。
 しかも煉瓦の小口〇列分に合わせて加工してます。
 右上から2列分、3列分、4列分、3列分…
 毎度違う加工で美観的にも秀逸なものに仕上げてい
ます。
 ピラスターの上部。笠石の上に一段飛び出しています。
 
 しかし、他の江戸切りよりも掘りが深い&枠幅も広い気
がします。
 内部は…ああ、コンクリでしたね…
 側壁は明らかに後年塗りたくられた雰囲気はあります
が、アーチはどうかな…?

 それともう一つ違和感…14年前は反対側の光が漏れて
いたはずですが…???
 はい、特に突っ込みは不要ですw
 しれっと話を進めます。
 歩を進めても状況は変わりません。
 路面は未舗装、しかし側溝はあります。
 どうやら電灯はあったようですが、こんな小さな裸電球
とは…
 天井アーチ部分のコンクリが剥離して、岩肌が見えて
います。
 ということは元々素掘りなのか、このアーチのコンクリ
は古そうに見えるので往時から覆工はあったのか…
 ちと判断しかねます。
 これは電線を這わせていたと思われる遺構ですね。
 やはりこのコンクリアーチは往時のものかもしれませ
ん。
 そしてさらに歩を進めると…
 あ…あれは…まさかの…
 の、前に…電灯のソケットと…、碍子。
 素朴ですねえ。
 何という事だ…。完全封鎖されています。
 いつの間に…
 水が溜まってしまってます。
 迫石と要石が見えているので、坑口直前であることは
間違いなさそうです。
 最深部より振り返り。
 延長88mということですが、そんな感じですかね。
 戻ってきて、今一度坑口付近の状況を…
 剥離が酷いですね。やはり地山の塑性圧が強いよう
です。
 要石の部分もがっつり空いています。
 この辺をなんとかしないと、現役使用は厳しそうです。
 外に出ました。
 この道は少し整備すれば使えそうなんですがねえ。

 まあ、それは置いといて…、反対側に回りましょうかね。
 河内長野側に回ってきました。
 以前は隧道前の工場?が稼働中で接近できなかった
のですが…
 どうやら廃業?している雰囲気です。
 ので気兼ねなく通過できました。
 この状態だと全くわかりませんが、あの白い所が旧道
となってます。
 右側は工場で使われていたスペースが広がります。
 完全になかったことにされています。
 封鎖場所から外を見ます。
 まあ、こんな感じです。
 さあ、河内長野側の坑門が見えてきました、が…

 河内長野側の坑口です。残念ながらの結果ですが、ブルーシートも大概でしたからね~
 14年前からこちら側は通して不遇な扱いです…
 
 同じ扁額ですが、コチラの写真の方が雰囲気は好き
ですね。
 こんな状態ですが、坑門の安定性はコチラの方がある
気がします。
 つくづく勿体ないですねえ。
 こちら側で見つけたささやかなポイント。
 ピラスターの頭頂部は四角錘となっておりました。
 そんなこんなで探索完了!
 14年経ってようやくお膝元の隧道レポートを刷新する
ことができました。
 やはりこの趣味はやめられませんね!