水路隧道



 


大阪府
JR東海道本線
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間
高さ
(実測)
特記
京都府境(山崎駅)~島本駅間
1 西谷橋梁 半円 2 水路 乱石 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:低→確定
1874年(明治8年)6月竣工
鉄道庁の資料にあるが、未発見
南側住宅連なり確認できず。北側なし
2022年6月訪問
ストビューにて北側に水路を発見。現地にてアプローチ路を
確認し、潜入。結果、南側の坑口煉瓦アーチを確認
一応南側からもアプローチ可能
インバートも乱石を使用。後付けのような隅石を備える
カイザシ橋梁 水路 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:低→判定不能
1874年(明治8年)10月竣工
鉄道庁の資料にあるが、未発見
南側に埋めたような跡あり。北側なし
2022年6月訪問
南側車道を挟んで南の水路を確認したが小さな土管
2本あるのみ。潜入確認不能となった

2 谷口橋梁 半円 3 人道 乱石 乱石 片出 1連 1.52m
(5尺)
1.76m 1874年(明治8年)11月竣工
3 岡ノ前橋梁 欠円 2 水路 整石 乱石 片出 1連 0.61m
(2尺)
0.73m 1875年(明治9年)4月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
坑門両側にコンクリート壁が聳える
4 堂ノ後橋梁 半円 2 水路 乱石 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
1.01m 1874年(明治8年)8月竣工
5 大溝筋橋梁 欠円 2 水路 乱石 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
0.82m 1874年(明治8年)8月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
6 国木原橋梁 欠円 2 水路 乱石 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
0.82m 1874年(明治8年)6月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
7 樋の尻橋梁 半円 2 水路 煉瓦 乱石 片出 2連 0.91m
(3尺)
1.10m 1875年(明治9年)5月竣工
8 庄ノ川橋梁 半円 2 水路 煉瓦 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
0.90m 1875年(明治9年)5月竣工
才田川橋梁 石桁 水路 1連 0.61m
(2尺)
竣工年不詳
残存可能性:
判定不能
2022年6月訪問
北側は島本駅新築に伴う歩行者専用道の下で、
グレーチングに阻まれ視認不能
南側も見つけられず、判定不能に

島本駅~高槻駅間
9 上三道路架道橋 半円 4 人道 乱石 乱石 片出 1連 2.42m
(8尺)
1.87m 1874年(明治8年)6月竣工
鉄道庁の資料によると「カミミドロ」と読む
10 遠田橋梁 半円 2 水路 乱石 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
1.02m 1874年(明治8年)7月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
11 五反田橋梁 半円 4 水路 乱石 乱石 片出 1連 2.42m
(8尺)
2.29m 1874年(明治8年)6月竣工
かつては農道として機能していたようで、歩くスペース
が残る。現在片側がマンションに道を塞がれている
水路床面に煉瓦積みインバートあり
12 籔ヶ花架道橋 欠円 4 車道 乱石 乱石 片出 1連 4.55m
(15尺)
3.48m 1874年(明治8年)11月竣工
府道に現存する貴重な欠円アーチ
13 神森橋梁 半円 3 人道 乱石 乱石 片出 1連 2.42m
(8尺)
2.48m 1874年(明治8年)9月竣工
鉄道庁の資料では「神ノ森道」という名称
14 山端橋梁 半円 3 人道 煉瓦 煉瓦
乱石
片出 1連 2.42m
(8尺)
2.57m 1874年(明治8年)9月竣工
「ヤマハナ」と読む
15 甚兵衛川橋梁 半円 3 人道 煉瓦 煉瓦
乱石
片出 1連 2.42m
(8尺)
2.74m 1874年(明治8年)10月竣工
16 内田辻橋梁 半円 3 人道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 2.42m
(8尺)
2.18m 1874年(明治8年)11月竣工
17 池田橋梁 半円 3 車道 煉瓦 煉瓦
乱石
片出 1連 2.42m
(8尺)
2.42m 1874年(明治8年)11月竣工
18 下橋梁 半円 3 人道 煉瓦 煉瓦
乱石
片出 1連 2.42m
(8尺)
2.18m 1874年(明治8年)11月竣工
19 奥田畑橋梁 半円 3 人道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 2.61m
(8尺6寸)
1.80m 1875年(明治9年)4月竣工
ねじりまんぽ 直角径間長8尺
20 岸なぜ橋梁 半円 3 水路 乱石 乱石 片出 1連 1.82m
(6尺)
2.16m 1875年(明治9年)2月竣工
21 磯野橋梁 半円 4 車道 乱石 乱石 片出 1連 3.03m
(10尺)
2.80m 1875年(明治9年)4月竣工
22 溝口橋梁 半円 4 車道 煉瓦 乱石 片出 1連 3.03m
(10尺)
2.31m 1875年(明治9年)4月竣工
アーチ内側1層目に鋼アーチ支保工有り
23 奥殿畑橋梁 半円 2 水路 乱石 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
1.12m 1875年(明治9年)3月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
no photo 三ノ口橋梁 1連 1.21m
(4尺)
残存可能性:極低→消滅判定
1875年(明治9年)4月竣工
2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない
24 すごう橋梁 半円 3? 水路 不明 整石 挟まれ 1連 1.52m
(5尺)
1.20m 1874年(明治8年)5月竣工
鋼アーチ支保工有り
25 幾里橋梁 半円 2? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
1874年(明治8年)5月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
no photo 大正田橋梁 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:
1874年(明治8年)5月竣工
南側発見できず。北側不明
no photo 大聖天橋梁 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:
1874年(明治8年)10月竣工
南側高槻駅前再開発により発見できず。北側も同様
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
高槻駅~摂津富田駅間
26 妙世川橋梁 半円 3 水路 乱石 乱石 片出 1連 1.82m
(6尺)
1.72m 1874年(明治8年)10月竣工
27 中川橋梁 半円 3 水路 乱石 整石 片出 1連 2.42m
(8尺)
1875年(明治9年)1月竣工
内部側壁に板渡しの突起有
28 甲川橋梁 半円 3 水路 乱石 乱石 片出 1連 1.21m
(4尺)
1.55m 1874年(明治8年)7月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
29 高城川橋梁 半円 3 人道 乱石 片出 1連 1.82m
(6尺)
1874年(明治8年)8月竣工
片側数mだけコンクリート巻き補強がある
30 深たど橋梁 半円 水路 乱石 乱石 片出 1連 1.21m
(4尺)
1875年(明治9年)1月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
31 後藤川橋梁 欠円 4 人道 煉瓦 乱石 片出 1連 4.55m
(15尺)
1874年(明治8年)11月竣工
32 半田川橋梁 半円 3 水路 乱石 乱石 片出 2連 1.21m
(4尺)
1874年(明治8年)9月竣工
33 下坂谷橋梁 半円 3 人道 乱石 乱石 片出 1連 2.42m
(8尺)
1874年(明治8年)9月竣工
34 西の口橋梁 半円 3 人道 乱石 乱石 片出 1連 1.82m
(6尺)
1874年(明治8年)8月竣工
35 段の前橋梁 半円 4? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 2.42m
(8尺)
2.70m 1874年(明治8年)7月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
36 大溝橋梁 半円 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
1874年(明治8年)6月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
37 小畑橋梁 半円 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
1874年(明治8年)6月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
摂津富田駅~総持寺駅間
38 高塚道橋梁 半円 3 水路 乱石 乱石 片出 1連 1.82m
(6尺)
1874年(明治8年)10月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
no photo 大伴筋橋梁 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:
1874年(明治8年)6月竣工
想定地は富田村踏切付近。航空写真やストビューでは
水路らしきものが見当たらない。現地未確認
39 石橋田橋梁 半円 2 水路 乱石 乱石 片出 1連 0.91m
(3尺)
1874年(明治8年)6月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
40 平田橋梁 半円 2 水路 乱石 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
1874年(明治8年)6月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
土管で拡幅されながら内部で坑門、笠石まで残る
珍しい例
総持寺駅~茨木駅間        
41 川田橋梁 半円 4 人道 煉瓦 乱石 片出 1連 3.03m
(10尺)
1875年(明治9年)2月竣工
水路開渠も兼ねる
42 長戸出橋梁 半円 3?
水路 不明 乱石 挟まれ 1連 1.82m
(6尺)
1874年(明治8年)6月竣工
西側がBKとして辛うじて開口する廃水路
43 門の前橋梁 半円 4 車道 煉瓦 煉瓦
乱石
両出 1連 3.20m
(10尺6寸)
1875年(明治9年)2月竣工
ねじりまんぽ 直角径間長9尺9寸
迫受石がねじりまんぽに合わせてあり特徴的
半円で迫受石があるのも珍しい
44 尻戸三橋梁 欠円 車道
水路
未使用
不明 乱石 片出 3連 4.55m
(15尺)
1876年(明治9年)1月竣工
両側のアーチ環、片出の坑門共にコンクリートに覆われ
ている煉瓦積みの翼壁が残る
45 大塚橋梁 欠円 4 車道
人道
煉瓦 煉瓦 挟まれ 1連 3.33m
(11尺)
1875年(明治8年)11月竣工
水路に鉄板で蓋をして人道にしている
隅石あり
46 竹の鼻橋梁 半円 人道 不明 煉瓦 挟まれ 1連 1.52m
(5尺)
1875年(明治8年)11月竣工
隅石あり
47 丁字橋梁 半円 人道 不明 煉瓦 挟まれ 1連 1.82m
(6尺)
1875年(明治8年)10月竣工
鉄道庁の資料では「丁子」という名称
隅石あり
no photo new
殿田橋梁
1連 1.21m
(4尺)
残存可能性:判定不能
1875年(明治8年)9月竣工
2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存する
らしいが、茨木駅のど真ん中であり、捜索不能状態
茨木駅~千里丘駅間
48 下池橋梁 半円 2? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
1.04m 1875年(明治8年)8月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
49 八ノ坪橋梁 半円 3? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 1.52m
(5尺)
1.75m 1875年(明治8年)9月竣工
new
八ノ坪橋梁
1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:低→消滅判定
1875年(明治8年)9月竣工
中央環状線の下付近にあった模様
現状確認できていない
2022年6月訪問
上記八ノ坪橋梁から南に66.6mの位置にあったらしい
が、北側痕跡無し、南側に南側路線の橋梁を確認
北側が埋められて消滅したのか…
no photo 奈良非路橋梁 1連 0.61m
(2尺)
残存可能性:極低
1875年(明治8年)8月竣工
西側確認したが存在確認できず
東側は工場で行けない
航空写真でも怪しい個所は見受けられない
50 高平橋梁 半円 3? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 1.82m
(6尺)
1.99m 1875年(明治8年)8月竣工
昔は人道との供用だったらしい。北側に石積み後
コンクリート補修床あり
床面に煉瓦積みインバートあり
51 四反田橋梁 欠円 2? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 0.61m
(2尺)
0.70m 1875年(明治8年)7月竣工
極小物件。アーチが12列しかない
52 早上り橋梁 半円 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
1875年(明治8年)7月竣工
床面に煉瓦積みインバートあり
53 恵風呂橋梁 半円 3? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 1.21m
(4尺)
1.30m 1875年(明治8年)7月竣工
54 大門橋梁 半円 2 水路 煉瓦 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
1875年(明治8年)5月竣工
片側は暗渠のままだが坑門が視認できる
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
千里丘駅~岸辺駅間
55 第一興林通橋梁 半円 3? 水路 不明 乱石 挟まれ 2連 3.03m
(10尺)
1875年(明治8年)3月竣工
鉄道庁の資料では「御興林」という名称
床面に煉瓦積みインバートあり
56 第二興林通橋梁 半円 3? 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 1.52m
(5尺)
1875年(明治8年)3月竣工
鉄道庁の資料では「御興林」という名称
アーチ両側から7段目14段目、合計4列に小口積みが
ある
57 金剛前橋梁 半円 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 1.21m
(4尺)
1.56m 1875年(明治8年)2月竣工
no photo 四丁目橋梁 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:
1875年(明治8年)3月竣工
南西側では確認できず
北東側は工場の敷地内で視認不能
no photo 六丁目橋梁 1連 0.61m
(2尺)
残存可能性:
1875年(明治8年)1月竣工
南西側では確認できず
北東側は工場の敷地内で視認不能
no photo 前田橋梁 2連 1.21m
(4尺)
残存可能性:極低→消滅判定
1875年(明治8年)1月竣工
2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない
岸部駅~吹田駅間
no photo 前田橋梁 1連 0.61m
(2尺)
残存可能性:判定不能
1875年(明治8年)1月竣工
西側は遊歩道に改修。東側には痕跡を見いだせず
敷地内に暗渠があるようだが、明らかに2尺ではない
どちらにしても現地捜索はお手上げ
小原橋梁 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:改修判定
1875年(明治8年)1月竣工
想定地の東側にBKを確認。西側端まで捜索したが
全てBKだった。100m超の中腰探索は地獄…
BKも4尺だった感じがする
2022年6月訪問
58 張換橋梁 半円 水路 不明 乱石 挟まれ 2連 1.21m
(4尺)
1875年(明治8年)1月竣工
2022年6月訪問
西側完全閉塞。東側からのみアプローチ可能、だが…
中腰で100m超辿らないと辿り着けない。並大抵の
精神力と根性では到達できない完全誰徳物件。生ま
れ変わっても2度と行かないw
隅石がある
no photo 桜上橋梁 2連 1.21m
(4尺)
残存可能性:極低→消滅判定
1874年(明治7年)12月竣工
2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない
 59 荒池橋梁 半円 水路 不明 乱石 挟まれ 1連 0.91m
(3尺)
  1874年(明治7年)12月竣工
2022年6月訪問
東側は痕跡を見いだせず(机上調査)
西側のコインパーキングに机上にて鉄板を確認。現地に
て鉄板を開けてみると水路を確認。奥に煉瓦アーチを
発見した
no photo 原田橋梁 2連 0.91m
(3尺)
残存可能性:判定不能
1874年(明治7年)12月竣工
西側はキコーナJR吹田駅前店建設改修により現地改変
東側には痕跡を見いだせず(いずれも机上調査)
吹田駅~東淀川駅~新大阪駅間
※未調査
新大阪駅~大阪駅間
no photo 青場川橋梁 1連 1.82m
(6尺)
残存可能性:極低→消滅判定
1875年(明治8年)5月竣工
2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない
想定地は完全に淀川の中。淀川拡幅に飲み込まれて
消滅したと思われる
60 樋口橋梁 半円 4 車道 不明 整石 片出 1連 4.55m
(15尺)
坑門はコンクリ補修されている
一部鋼アーチ支保工で補強されている
no photo 奥殿坊橋梁 1連 0.91m
(3尺)
残存可能性:極低
1875年(明治8年)2月竣工
想定地は車道BKと人道BKが隣合わさる所。法面コン
クリ壁化の際に消滅したか、埋没したか…
大阪駅~塚本駅~兵庫県境
※未発見
JR環状線
桜ノ宮駅~京橋駅間
61 池下藤架道橋 欠円 4 車道 煉瓦 煉瓦 挟まれ 1連 改修が著しく、元の姿がよく分からない。
欠円アーチが暗渠内部に柱のように残る
京橋駅~新今宮駅間
※未発見
新今宮駅~今宮駅間
62 今宮井路架道橋 半円 人道 煉瓦 挟まれ 1連 隅石を備える
全体を白く塗られている。環状線内で現状唯一の
まともな煉瓦アーチと思われる
今宮駅~桜ノ宮駅間
※未発見
JR片町線(学研都市線)
京橋駅~~~寝屋川公園駅間
※未探索
寝屋川公園駅~星田駅
(仮)大谷橋梁 石桁 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連   この近辺では珍しく側壁が煉瓦積み
基礎煉瓦を迫り出させている
寝屋川公園側は暗渠化している
2024年4月訪問
星田駅~河内磐船駅間
63 (仮)星田北橋梁 半円 4? 水路 煉瓦 不明 片出 1連 不明 不明 廃水路で片側は埋戻し。アーチ環4層まで視認可能
マンション側は完全消滅
2014年5月訪問
河内磐船駅~津田駅間
 (仮)寺橋梁 石桁 水路 整石 整石 片出 1連   東側はBKにて拡幅されている
谷積みの切石擁壁の下部にある。小口積みの切石坑
門、江戸切りの太めの石桁を擁する
切石の翼壁も備える
2014年5月訪問。2024年4月再訪
64 (仮)神宮寺橋梁 半円 2 水路 整石 整石 片出 1連 0.91m
(3尺)
1.30m 要石がある
この規格で要石があるのは大変珍しい
2014年5月訪問
65 (仮)東倉治橋梁 半円 2 水路 煉瓦 整石 片出 1連 0.91m
(3尺)
1.23m 2014年5月訪問
津田駅~藤阪駅間
※未発見
藤阪駅~長尾駅間
66 (仮)藤阪南町橋梁 半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 0.91m
(3尺)
2.85m 要石がある
かなりの縦長物件
長尾駅~京都府境間
※未発見
阪急千里線(旧東海道本線区間)
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
吹田駅(厳密には過ぎてから)~下新庄駅間
no photo 塚本橋梁 1連 1.52m
(5尺)
残存可能性:極低→消滅判定
1874年(明治7年)10月竣工
2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない
旧線は現行路線とは外れた位置にあった
no photo 足洗橋梁 2連 1.21m
(4尺)
残存可能性:極低→消滅判定
1874年(明治7年)11月竣工
2000年の台帳(小野田氏資料より)によると残存しない
旧線は現行路線とは外れた位置にあった
67 鴨沢橋梁 半円 4 水路 乱石 整石 両出 1連 2.42m
(8尺)
1874年(明治7年)9月竣工
アーチ環に竪積みの技法が見られる
隅石あり
2022年6月現在、高架化工事が進行中で、既に工事
の囲いの中。残置の可能性は低い
下新庄駅~淡路駅間         
68 下久野橋梁 半円 2
水路
煉瓦 煉瓦 片出 1連 0.91m
(3尺)
1875年(明治8年)5月竣工
2022年6月訪問
ここ何年も追い求めながら、条件が悪く出会えな
かった物件。残存は東側のイメージだったが、西側
を確認。元々西側は見えなかったはずだが、高架
化工事の過程で露出したのではないか。東側の
方は現在も確認が取れない
アーチ環の小口に楔形の煉瓦を使用し、交互に焼過
煉瓦を挟むなど、趣向を凝らしている
是非残置展示化をお願いしたい
阪急京都線(旧東海道本線区間)
淡路駅~崇禅寺駅~南方駅(厳密には手前まで)
※未探索
南海本線
南海難波駅~~~天下茶屋駅~~~鳥取ノ荘駅間
※未探索未発見
鳥取ノ荘駅~箱作駅間
69 小原川橋梁 半円 3 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連  大阪湾に面している
 天端が傾斜している
 洞床に降りるのが困難
 小口とアーチ環に焼過煉瓦を配している
70 花折川橋梁 半円 3 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連  大阪湾に面している
 水深がそこそこある
 煉瓦の色がまちまちで統一感がない
71 (仮)貝掛西橋梁 半円 2 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連  細高い2層巻きアーチ
 大阪湾に面している
 煉瓦の色がまちまちで統一感がない
72 久堀川橋梁 半円 3 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連  大阪湾に面している
 水深があって近寄れない
 煉瓦の色がまちまちで統一感がない
箱作駅~淡輪駅間
73 (仮)箱作橋梁 半円 3 人道 煉瓦 煉瓦 片出 1連  拡幅なのか、内部アーチに整列した長手積み
アーチが一列巻いてある。そのアーチ両側とも通常
の煉瓦アーチ
74 田山川橋梁 半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連  煉瓦アーチ同士で拡幅の跡がある
 片側はさらにコンクリアーチにて拡幅されている
淡輪駅~~~和歌山県境間
※未探索未発見
南海高野線
名称 アーチ
形状
巻厚 利用
形態
坑門 側壁 状態 径間
径間

高さ
(実測)
特記
天下茶屋駅(以北は南海本線に分類)~~~狭山駅間
※未探索
狭山駅~大阪狭山市駅間
75 第40号橋梁 半円 4 車道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 イギリス積み煉瓦の翼壁がある
片側はコンクリアーチにて拡幅されている
76 第41号橋梁 欠円 4 車道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 イギリス積み煉瓦の翼壁がある
片側はコンクリ欠円アーチにて拡幅されている
一応車両だが車種を選ぶ
77 狭山里道橋梁 半円 4 車道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 イギリス積み煉瓦の翼壁がある
片側はコンクリアーチにて拡幅されている
78 第42号橋梁 半円 3 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 イギリス積み煉瓦の翼壁がある
片側はコンクリアーチにて拡幅されている
79 狭山里道架道橋 欠円 5 車道 煉瓦 煉瓦 片出 1連 イギリス積み煉瓦の翼壁がある
迫受石がある
80 第43号橋梁 半円 4 人道
水路
煉瓦 煉瓦 片出 1連 イギリス積み煉瓦の翼壁がある
片側はコンクリアーチにて拡幅されている
81 東除川橋梁 半円 不明 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 希少な関西私鉄のねじりまんぽ
アーチ環がコンクリ補修されている
大阪狭山市駅~金剛駅~滝谷駅~千代田駅間
※未探索
千代田駅~河内長野駅間
82 第47号橋梁 半円 5 水路 煉瓦 煉瓦 ※1 1連 ※1:西側未確認
床面に煉瓦積みインバートあり
内部側壁に床板を乗せられる煉瓦製の突起
がある
河内長野駅~~~和歌山県境間
※未発見
南海高野線(旧線)
天見駅~和歌山県境間
83 (仮)島の谷橋梁 半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連 旧線に残る現状唯一の煉瓦アーチ
近鉄長野線
古市駅~~~汐ノ宮駅間
※未発見未探索
汐ノ宮駅~河内長野駅間
84 (仮)桜橋梁 半円 4 水路 煉瓦 煉瓦 片出 1連
阪神なんば線(阪神西大阪線から改称)
大坂難波駅~~~伝法駅間
※未探索
伝法駅~福駅間
85 溝橋第11号橋梁 半円? 5 人道 不明 不明 両出 1連 当方訪問時には残念ながら既に煉瓦視認不能に
福駅~~~大物駅間
※未探索
関西本線(旧線)
河内堅上駅~奈良県境間
86 (仮)峠橋梁 欠円 3 水路 煉瓦 煉瓦 両出 1連 1.52m
(5尺)
1.83m 北側側壁はコンクリ補修されている。
アーチ形状が緩く、函渠に近い構造。


 

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